電離層代理Jh2dbqab2zvwi2p国家代表モニタ消防団の『スローなハムにしてくれ』
と言いながら声をかけてくるヘンなおじさんがいるーっと言って、表の公園で遊んでいた娘が駆け込んできた。びっくりして、飛んで行ってみたら、外国人が子供たちと話そうとしていただけだった。
という話を、「カタカナ英語」についてネットを徘徊していて見つけた。イケてるw。
イケてるけれども、おそらくこの話は実話だろうと思われるが、だとすると、その「公園で遊ぶ年齢」ですでに日本語の音感が体系としてデキあがっているのかと言う点で驚きもする。
仮にそうだとすると、外国語習得は(個人差も大きいだろうが)、幼児期ではすでに遅いと言えないこともないのかも知れないのではないのではないかという気がしないでもない。
ところで、カタカナ英語どころか『漢字英語』を追求する一派もあり、その根性には驚きを禁じ得ない。たとえば
「こんど、奥さんおめでたでしょ。しばらくついていてあげたらいいよ。一週間ぐらい、有給休暇申請しなさい。」
『産休。』
あたりなら、これは結構イケてるが、さて外国語に対する態度としてはどうなんだろうなという気もする。
ところで、日本人で最初にカタカナ英語に取り組んだのはご存知ジョン万次郎(中浜万次郎)で、彼の著作「英米対話捷径」は、初めて生の英語に触れた日本人に、英語がどう聞こえたかを示す、貴重な史料だ。そこには例えばこういう紹介がなされている。
他には Railroad を『レイロー』と紹介したりしていて、いずれも言語音声学の観点から見て(知らんけど)、興味は尽きないし、またワシらの英語発音・聞き取りに力の向上について、参考になる点がめちゃんこ多い気がする。
それにしても、日本で実際に「鉄道」が開通するのは万次郎の帰国後20年ほど経てからのことだから、説明には想像を絶する苦労があったことだろうなあ。
外国語に対する苦労と言えば、そりゃあまぁ前野良沢先生をおいて、ほかにない。前野先生の場合は「会話」ではないわけなんだけれども、読み書きに関しては長崎にいたオランダ人もインド人なみに驚くレベルだったということなので、そりゃあすげぇなぁ。
・・・という先人の苦労を思うと、こちとら酔狂百もあることなので、ごちゃごちゃ言わず、きっちり王道を歩いて少しは進歩せんとあかんという気がしてきた。甲南大学国際言語文化センターのトップページにある伊庭緑さんの次の文章は、美しいと思う。(なおこちらのサイトでは、英語・米語のオンラインレッスンができますので、ご参考までにどうぞ)
私は日本人がアメリカ人やイギリス人のように英語を発音すべきだとは思いません。ただ英語でコミュニケーションを行なう場合に標準的とされるアメリカ発音やイギリス発音を身に付けていると自分が言っていることを理解されやすいので、練習しておいたほうがいいだろうとは思うのです。ですからみなさんもどうしても発音できない音があったとしても、私は日本語がよくできるから英語も日本語風になるのだと思っていたらいいと思います。ただ練習はまずやってみる価値はあるのではないでしょうか。
まったくそのとおりと思いますので、こころを入れ替えて真面目にやります(__;)。さてそうすると、ブログねたがないことになる・・・わきゃねーわな。いくらでも毒素は出てくるわなきっとσ(^。^)バキ☆\”(^。^)。