わりと共通点のあることを述べていらっしゃるから読んでみたらという示唆を池田OMよりいただいたので、ソッコーで読みに行ってみた。
http://blog.tatsuru.com/ 内田さんの『リンガ・フランカのすすめ』と題する5/12のブログ記事はかなりイケてて素晴らしい。要点をかいつまむと、
インタネットは英語人という言語集団に、人類史上最大の、競争上のアドバンテジを与えてもうた、非英語圏に住むおれらには(という下品な第一人称は使ってないけど)、生来的にハンディを負っていることになる。この構図をぶっ壊す方法として、「lingua franca」(世界共通語)という言語カテゴリーを作り、さらにはそういった言語教育を施してはどうかと提案しておられる。具体的には lingua francaとして「Poor English』を採用することを念頭においておられるものと思う。
その場合には、次のルールを適用するべきだとおっしゃる。
(1) 決して話者の発音を訂正してはならない
(2) 決して話者の文法的間違いを訂正してはならない
(3) ただし、「言い換え」て対話を継続することは許される。
(4) 教師は「英語を母語としないもの」とする。
そして、こうも言うておられる。『非英語圏の英語教育は「リンガ・フランカ教育」と「英語教育」に二分すべきだと思う。この二つは別のものでなければならない。日本の英語教育が失敗しているのは、この二つを混同しているせいである。』
これは全くわしゃ同感で、わしは別のところで『英会話教育は学校教育(就中、評価)にはなじまん』という議論をぶっコイている。現実に中学レベルの英語授業では、英会話に重心が移動するようになってから、バカをどんどん製造している。あーゆーのは、やるなら幼稚園レベルでやらないとあかん。
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ましかし、lingua francaとしてのPoor Englishはとっくに地位を確保しているような気がする。だいぶ前にNHKテレビで、某日本hpだったかなぁという企業がインド現地と国際会議をする様子が映っていた。これはもうぶったまげるぐらいのPoor Englishで、聞いていて、なにを言うておるのかさっぱり分からんw。NHK番組の趣旨は、いまや英語はこれほど必要♪みたいなことだったのかも知れんが、ワシは、すべての学習は水泡に帰すると言いたいのではと思ったのでござった。
なにしろこの場合、この二企業間ではlingua francaとしてのPoor Englishは完全に成立している。この国際会議は意図さえきちんと伝わればヨイわけで、別に英語のブラッシュアップが目的の場ではない。発音やら文法やら訂正しているような悠長なコトはやっておれんわけだ。ここで「アクセントがちがってますよ」などと言い出すKYはおらんであらふ。
さて、どこの英会話学校へ行っても、あんな英語は学べん。現場か、さにあらずんばQsoNetでしか学べんw。
そのQsoNetで生き抜くには、こう考えればヨロシイかとわしは思う。
『 おれの言ってることを分かれ 』
・・・という文脈からすると、やれ英米人の発音がなっとらんと怒るワシは間違っておるのかも知れんが、だって分かんねぇんだもん(__;)。
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内田さんがスルドイのは、Poor Englishが勃興することによって、Native Englishの競争上の地位が失われることを指摘しておられる点だ。Cockneyが意気軒昂なのは、そうした意図があってのことかも知れんw。
待てよ。だとするなら映画『マイ・フェア・レディ』(
Pygmalion )についてはさらに続編を構想することができる。これは面白い。当然、イライザがCockneyへと回帰していくわけだ。当然ひとりで勝手に回帰するのではなく、ヒギンズ道連れwである。
もっともこ程度のギャグはとっくにBBCでやってる気もする。ちっ。