電離層代理Jh2dbqab2zvwi2p国家代表モニタ消防団の『スローなハムにしてくれ』
NHK大河・龍馬伝に英会話を学ぶバキ
(副題 いやぁぱんぱん英語がいいんですよ)
NHK大河・龍馬伝を今年もいちおう第一回から見始めたんだけど、大体15分で挫折。アタマ痛なってきたんで後日ビデオで見ようと思ってたけど、結局見ていないのを思い出した。去年の直江兼続はいちおう第二回目までは見たので、今年のおれの拒否感は大河の歴史の中でも圧倒的に強い。
2月ぐらいまでは毎度毎度見ようとはして、だけどやっぱり毎度毎度、開始10分ぐらいで頭痛がしてくるので、なんでなんだろと考えてみたところ、理由は二つ。
ひとつは映像処理への違和感と、もうひとつが音声構成への嫌悪感。どちらも過剰だという気がおれはする。
いまインタネットでざっと見てみたところ、映像処理については、奥行きがあっていい♪歴史を感じる色合い♪という好意的な見方も多いようだが、おれに言わせれば広角の白痴的使いすぎ、減色処理・ノイズ加算処理の低脳的ヤリすぎである。総合的に見て安物のチャイナ活劇であって、視聴者をナメとるとしか思えん。
・・・のだけれども、実は写真界にあってこの二つの傾向、つまり安物レンズ的画角(ゆがみ)と安物フイルム的低画質(色ずれ)というのは、実は10年ぐらい前からの主要トレンドなんでおます。ぶっちゃけな話、「悪いほうがいいじゃん」というデカダンスで、1990年ぐらいにベンツがデザインを変えたころぐらいから始まったらしい。岡本太郎大画伯がよく『 なんじゃこりゃ 』を連発してましたが、その「なんじゃこりゃ」というコンセプトがそういう方向(悪いものの再評価)でいま現れている。女子高生がいっときガングロなんてのをやってたけど、あれはその潮流の中にある。はいはいようやっと本題に入ってきました。
だからまぁその、時代としては、日本人なのにやたらと英会話が上手いなどというのは、実はだっせぇのの極致なんです。時代はいま、下手英会話の再評価に入っている。というか世界はとっくにそういう認識を持っていて、やたら英会話の上達などとカネとヒマかけてるのは俺ら日本人ぐらいのもんだと思っていいと思う。ぱんぱん英語でいいんだ、などという生易しいものではなくて、ぱんぱん英語『が』いいんだというぐらいに捉えていただきたいものでございます。
そのように深く深ぁあい文化背景分析を加えたうえで、しょーがないので時代の潮流にあわせるために、最近のボクはきちんとQSONet上で我慢して我慢して英語を広角化し減色処理して喋っているんだけど、どうでしょでしょ、きちんとヘタにできてるでしょうかσ(^。^)バキ☆\”(^。^;)バキ☆\”(^。^;)バキ☆\”(^。^;)バキ☆\”(^。^;)
さて。
もうひとつ別の重要な問題として、中途半端な会話力は危険だ、というのがあるような気がする。めっちゃ上手でペラペラであるか、めっちゃ下手でぱんぱん英語である場合には問題がないが、中途半端な会話力の場合は、相手の包容力にもよるだろうが、摩擦が起きやすい気がする。これは料理格闘家のボビー・オロゴンがテレビで具体例をおかしく展開してくれていて分かりやすい。知らなきゃ平穏裡にことが運ぶのに・・・というボビーの持ちネタは、ありゃあすっげーでしゅなぁ。あれはエノケンロッパを超えてる気がする。
てなわけで、時代はヘタ。下方修正の方向へ行くのがトレンド。まぁイヤだけど、しょうがないのでみんなでここはひとつヘタを目指しましょう。おれらにとっては大変だけど。σ(^。^)バキ☆\”(^。^;)バキ☆\”(^。^;)バキ☆\”(^。^;)バキ☆\”(^。^;)