QSONetで英語使わにゃしゃーないようになって、数カ月はソコソコ努力して、そのあとさらに努力して米利堅語の試験受けたりして、そしたら突然、英語なんてどーでもようなって、アメリカのcallsignを表示しながら日本語QSOしかせぇへんようになって一年半が過ぎた。おお久しぶりの超悪文。
ほぃで最近、だんだんワシなりに確信めいてきたことが幾つかあるのでそれを書く。
先ず、日本人の英会話力は世界のなかでもナカナカのもんであるということがひとつ。なにしろ自己紹介ぐらいなら誰でもできる。これは、あのヨーロッパ人の中に、ホンマに全く母語以外しゃべれんヤツがうじゃまんといることからすれば、この島国にあってこの状況ってのは、いやー大したもんだなぁと思うのでござる。
日本の英語教育というのは、あるいは英語学習力ってのはスゴイ。15歳までで3年間しかやっとりゃせんのに、ぬぁんと9年間やった算数・数学よりデキる。平均的に見ての話だ。This is a pen.を知らん日本人はまずおらん。だけどThis is a pen.を知らんヨーロッパ人ならどえらいようけぃおるで。 ドーバー海峡なんて、泳いで渡れる距離なのに、だ。
ところが自分は英会話がデキんと思っている割合は、これまた日本人の場合はめっちゃ多い。だいぶ前に、ほとんど挨拶言葉もワヤなのにおれは5ヶ国語しゃべれるたら豪語しやがったカナダ人にブチ切れしたワシであったが、どうも世界はアレが標準なような気がする。その世界標準に照らし合わせれば、日本人は全員英会話ができると考えてかまわんような気がする。ま、そんなところでえーじゃねーか。と思うようにしましょうというのが最初の確信だ。
それからもう一つはですな。こちらはちょっとカドが立つかも知れんのでナカナカ言いづらいのであるがと言っておけばへいちゃらなので書いちゃうけど、日本人は外国語会話ができること=アタマが良いこと と考えすぎなのではないかということだ。
よく言われることだけど、アメリカ行けば幼児でも英語しゃべっておるわけで、別に、英会話ができるということがアタマが良いということでは、まったく、ない。んじゃなんでアタマ良さげに見えるかというと、これはもう一種の集団催眠なんだと思う。
アタマの良さが必要なのは英語学であって、英会話は学問ではないということを、まず徹底的に認識せんと、日本人の英会話力は宝の持ち腐れになるような気がしてならん。つまり、おれが言いたいのは、
外国語会話で上達したいと思ったら アホ になりきらんとあかん
ということなにょだ。まだ分からん人のために、誤解を恐れず言いなおす。外国語会話はバカほど上達しやすいでつw。ということ。お利口のあまり上達したひとも、もっとバカになるともっと上達すると思いまつ。
これは先だって、某オランダの局がワシに「もっと上達したかったら、オウムになりなさい」と言ってきて、これ自体は外国語上達の常套句なんだけど、その時のワシには「オウムのように」でなく「本物のオウムになりなさい」と聞こえてきて、ムコウ様がどういうニュアンスで言ったのかは知らんが、ワシは大いに笑いながら非常に深く頷いたのであった。ハーイテオチャンデシュコニチワコニチワぱたぱたぱた。とやってる自分をイメージしてもうたσ(^。^)。
そして、ワシがこういう発想を持つ一助となったもうひとつのきっかけが、このビデオクリップ。
この中でロルちゃんは、ドイツ人はder,die,dasを間違えることは『絶対に』ないと言い切っている。その理由がこれまた目ウロコであったのであったのであった。
都合。
わしらはガッコで学習する科目を、例えば英数国理社を主要科目と、あるいは体育たら美術たらを副教科あるいは技能教科と、人によっては芸能教科と呼んでいるわけなんだけど、この伝でいくと、そりゃ確かに英語は「主要」教科かも知れんが、少なくとも『英会話』については技能教科あるいは芸能教科という把握をするのが正しいというか、上達するために必要な基本的スタンスなのではないかと思うわけだ。音楽理論をどれだけ知っていても、歌うとドヘタだというような場合を想定して理解して欲すい。
こう思うようになったのは、数カ月前のことで、それ以来、英語が超ウマいひとをテレビで見たりすると、こいつ阿呆なんだなと思うようになったw。
もっともそれは間違っておるわけで、歌が上手いひとがアホとは限らん。アタマの良い人も多いであらふ。が、アホでも歌わせるとめちゃうまいというパターンが多いのもまた真実なのだ。
てなわけで、外国語会話で上達しようと思ったら、あんまり頭つかわんと、また気もつかわんと、とっととやってみぃ というのが正しいスタンスなのではないかとわしゃ今は確信している。外国語会話というのは、逆上がりみたいなもんなのだと思うようになっている。 アホになりきって、なんども繰り返しているうちにある日ヒョイとできるようになる。と思うがおれはアホになりきれんので証明できんのが残念でならん。
結論 会話上手になりたかったら、まずは知性を捨てる努力をしましょうw。
菜ばかり店長
2010-04-18 (Sun) 06:38
でその中に長いこといるのだが、あるとき、息子と話していた時、英語の話になって
息子が大声で感嘆したんじゃ、親父こんなことも知らないでべらべら、外国と話してンのかー!! と、それ以来、自分の電波が飛ばないことをあまり嘆かなくなった。 そうだよ、電波が飛びすぎると恥は其の分、広い範囲にばら撒かれるんだとわかったから。
しかし、電波はインターネットが出現する前は唯一の会話実践の機会だったから、使わなきゃ損だと、其の後、英語以外の言語を独習した。 なんたって、英語の本を電車で読むのは恥ずかしい、周りの達人が軽蔑の目で見ているんではないかと、 でも、こういう風に思うのは平均的な日本人で、学校で苛められた外国語にたいする辛い思いがあるからなんだよな。
パンパン英語(わかるかな)で平気で大出力で恥さらしをしているのがハムで、それだから
世の中に、バカにするやつがいる。 しかし、馬鹿にされても、話さなければ話せないのだから、やむを得ない。(友人の父親は何十年もNHKの英会話番組を聴いていたが、一度も話したことはないらしい、こういうのも日本人の中には結構多い)馬鹿集団で結構、無線でもCQ100でも恥を晒しまくっていけばいいのだ。 なんせ、言葉意外に興味の対象がめんこ集めをはじめとしていっぱいあるんだからええじゃないかと、(でも、時々、人の交信を聞いて恥ずかしくなることがあるが、そう思った瞬間、CQ100で話すのが怖くなった。なんせ、あれは、KW+ビッグアンテナ以上に良く届くし、混信やノイズの言い訳が出来ないし、スキップさえしないんだ 恐ろしや。)こういう心理状態は日本人に特有のものだろうし、つまらんところで、気を使っているわけで、あほらしいし、損だわな。バカ丸出しでいきやしょう。