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長崎女子高生殺人事件で考える 2
ましかし、おそらく世間一般は、後天的な環境整備に不備があったという、いかにも「識者がお好き」そうな方向へ議論を持っていくことであろう。
いわく、
父母共にエリートであるプレッシャーに加え、第二次性徴期を日本社会的な抑圧を受けつつ過ごしたため、鬱屈した攻撃本能が醸成されどうたらこうたら
だ。これは日本のあらゆる分野に受け入れられやすい把握と言える。受け入れられんのは、被害者とそのご家族だ。
そしておそらく、いつかまた第三の酒鬼薔薇事件が起きる。
サンデルというスリッパみたいな名前の教授なら、
ただ、生来的犯罪人説を重視して、ヤバそうなガキは、なにも悪いことをしていなくても次々と殺処分することと、
人間の理性を信頼して、あくまでも犯罪が起きてから刑罰を課するのと、どちらが妥当だと思いますか
という命題を示すかも知れない。
前者の場合は、一般人も誤って殺処分される危険性がある。
後者の場合は、一定数の被害者が生まれる危険性がある。
てなことになる。無論、冗談ではなく、正面から考えなおすテーマであることを、この事件は示している。
ところで、「まさか女の子が」という見方をするひとが圧倒的多数なようだが、ローティーンの女子の残虐さは知っておくべきである。(この容疑者はミドルティーンだが)。
女子中高内部のイジメは、相手を自殺に追い込むまで行われる。男では絶対に耐えられぬものらしい。
これはおそらく、上にも書いたが、第二次性徴期との関連が強いのだろうと思うが、父親に面と向かって
クサイから寄るな
と言うその精神構造は、一過性のものとはいえ、看過してはならぬ気がする。明らかに、他者に対する攻撃性の萌芽であり、父親たるものはビンタ数発食らわせて、青あざだらけで外出もならぬぐらいの「小さな懲罰」を与える義務があるとオレは思う。
無論、冗談だがホンキだ。被害者が可哀想すぎてならぬ。