クローズアップ現代「無月経・疲労骨折…10代女子選手の危機」 6年後に東京五輪を控える日本。活躍が期待される10代女子選手に今、無月経を原因とする疲労骨折が相次いでいる。どうしたら防げるのか選手と監督への大規模調査から迫る |
十代の女子が過度なトレーニングと体重抑制に取り組むと、健康が阻害され、骨粗しょう症の進行等がみられるという。つまり、めちゃくちゃ短絡すると、十代の女子はやたらとがんばって運動したり、体重を落としたりしてはいかんということになる。生命の危険さえあると指摘した医学関係者もいた。これにはでんぐり返った。
つまり、不自然だ というわけだ。
そうかも知れんなという気がする。というか、なんとなく感じていたことを、ズバっと摘示して見せてくれたのではないかとも思う。
最近、とくに安倍政権政策の柱だとかで、女性の社会進出がどうのこうのという話になっているが、ワシはこれが疑問でならんのだ。
安倍政権がこれを言い出した背景には、欧米での女性の社会進出に調子コイたアホのOECDが、日本の経済成長が停滞しているのは、女性の社会的地位がなんたらかんたらと要らんお世話を焼きくさったこともある。
しかしわしはここ十年ぐらい、女性の社会進出ってそんなにえぇことなのかと疑問でならんのだ。女性が男性と同じようなことに取り組むのって、価値のあることなのか。女性には女性なりの社会貢献のカタチがあって良いのではないか。
話はやや飛ぶが、二日ほどまえの夕方のクソ忙しいときに、名古屋のローカル番組で「少子化対策はどうしたら良いか」という討論番組をやっていた。昔アイドル今や「日本の母ちゃん」となった堀ちえみが出ていたりして期待が持てたんだが、議論の流れにおれはのけぞった。
「女性の社会進出に抵抗感を持つ日本人の意識を変えていかねばならない。子どもは社会で育てるという意識が必要だ」となってったわけなんだけど、いやぁ言いたいことはイロイロあるが、ジャン・ジャック・ルソーの「エミール」じゃあるまいし、それがどれだけ歪んだことか、気づけよと。
確かにいまや社会構造がものすごく変化しているので、旧来の社会の有り様が追いついていないというストレスはわかる。
がしかし、縄文・弥生・途中省略・江戸・明治の社会構造の変化のほうがよほどデカいわけで、にもかかわらず、数千年かけてつちかった「女性は家庭的であれ」という考え方を、アベノミクスで変更してえぇもんかねという気がしてならんっ。
民主主義なんかどうせここ百年かそこらの社会システムだから、こんなもんは実験的に廃止してみてもかまわん気がするが、男女の役割分担の伝統的・歴史的重みは、民主主義風情とは比較にならぬ。
OECDなんてのはバカだから、日本の女性が労働市場に流れ込めば日本のGDPは上がるなどというバカを抜かすが、その考え方の根底には、日本女性が家でテレビ見て鼻くそほじくって屁こいて昼寝しているだけだという認識が基礎にあると思われる。
話はさらに飛ぶが、その番組の中では「パートでどんだけ働いても、託児所への支払いに消える」と不平を言っているひとがいたが、そんなに社会での労働価値がないなら、家で自分で子育てしたほうがマシなのとちがうかというのは、だれでも気づくこっちゃないかと思うがなあ。
こどもの成長は、親がそばにいてナンボだという気がする。
要するに、子育てする能力が欠落しているから、子育てから逃げたいというだけではないのかという気もする。
などなど、これまた短絡的に書いているが、話はそう簡単ではなく、どうも本一冊分ぐらいは分析してみないとあかんだろうなあという気がする。
ワープして結論。
男子以上の能力を発揮する女子も多いとは思うが、そうではない女子も多い。そうでない女子は、女子ならではの能力を持つハズ。
誰もがトレーニングして運動能力を高める努力をすれば良いというものではないのと同じだなぁと思ったのであった。
わしはどうも、やたらと「女性のチカラ」とか抜かす今のアベノミクス的傾向には危険な臭いを感じる。とうぶんのあいだ、「女は家を守れ」の立場を取ろうと思う。反対論者がおらんと、ちとヤバい。
追記
だでしこジャパンの丸山選手のお母さんは、丸山選手が小6で「サッカーやりたい」と言い出したとき、親戚会議まで開いて「女の子はダメ」と反対したという。フリルのついたドレス着てピアノを弾く少女になって欲しかったそうだ。
だから、つい先ごろまでそれが 常識 だったんだよなあ。