381
【英語人バカヤロ2】ほんとのほんとの原因
昨夜のワシの怒りはブログを書いたぐらいでは収まらず(--メ)、夜半にQSONetへ乱入して酔狂を連発、応じてきた某OMと世界征服をめざすことで意気投合。互いに火に油を注ぎながら盛り上がって気づけば丑三つ時w。いくらなんでももうスッキリしたワシでありました。感謝。>JA2GZZ古田OM
果たして嵐も去ってみれば晴れ渡る秋の青空よ。クダンの書物もそんなに悪いものでもない気がしてきたσ(^。^;)バキ☆\(^。^;)。最初は糞ムカついて、またぞろamazon.comの書評欄で滅茶苦茶に書いたろかと思っていたんだけれども、結局こう書いた(笑)。amazon.comなんてぇのは所詮、読み手から書き手への報復の場ではあるw。
============================================================
タイトルが悪い
『日本人が知らない英文法』という書名や、あるいは「さらに機知に富み、洗練された英語へ!」というオビ書きなどを見ると、英会話コンプレックスに苛まれきった小生などは、つい「読まねば」と思ってしまったクチである(笑)。
しかし残念なことに、第1章「中間動詞・中間態」を始めとし、書中に登場する文法用語こそ新奇ではあるが、内容はいずれも高校レベルでおおよそ学習したことばかり。第5章「speakとtalkは発言に関わる動詞か」、第8章「英語にappleは存在しない」などの小題も、エキセントリックではあるが、扱っているテーマは極めてありきたりである。
書物としての完成度は高くはなく、例えば第10章「言語学習のタテ軸とヨコ軸」の小題「☆英語が上達する人、上達しない人」というところは、
「ここまでの話をまとめれば、言語とは何か、そして言語学習とは何かを理解するためには、言語には2つの軸があること、そして言語を用いるほとんどの場合に、この2つの軸が同時にあやつられているのだと気づくことがいかに大切かということです。」
と始まるのだが、これは、日本語で何か言っているということは分かるものの、内容は論理的に体をなしておらず、読者に相当のストレスを強いる。
もっとも以上は、編集段階での作業の粗雑さに起因するものと思われる。「売れればそれでよい」という横着さを感じる。
つまりそれは、よくよく読み込めば、著者の、日本人の英語学習に対する愛情と真剣な取り組みの姿勢を垣間見るからだ。
本書は章を追うごとに次第にエッセイ的になっていくが、著者は常に、なぜ日本人の英会話力は向上しないのだろうと教育者である自らに問い続けている。問い続けながら問い続けながら、筆を進めていく。これを思考の未整理と見るのは簡単だが、むしろ、英語の世界にあって独特な位置を占める我々日本人(笑)社会のど真ん中(大学)で苦闘する、真面目な外国人英語教師の独白として位置づけたい気がする。ルース・ベネディクトの「菊と刀」ではないが、我々日本人の国際化を考えるに際して見過ごすことのできない、重要な論点が大量に含まれていると思う。
著者はいったい何故ここを問題視しているのかなど、その著作動機を推測しながら「行間」を読むとたいへんに面白い。一読をおススメする。
============================================================
自分で書きながら自分でそうだよなぁと納得することシキリであって、この点おれの文章力は流石だと感嘆するわけなんだけれども(アホかて)、実に問題は、単純に言って、おれら(複数形)の学ぶ態度にある気がしてならんようになってきた。
もちろんアイツラも悪い。アイツラちゅうのは、例えば文科省やら教師やらあだこだ抜かすガイジンやら、まそーゆーの全部なんだけれども、しかしそーゆー言わばノイズにいちいち反応した、良く言えば素直な、悪く言えば他律的なベンキョしかようしてこなかったおれらが一番わるいのではないかと、ま、そーゆー気がしてきたわけだ。
所詮、『教える側』がどんなに努力したところで、この程度のもんである。てか、もっと良い教育法があれば自分はもっと伸びるのではないかと考えて、会話学校あれこれ通ったり、おれみたいにアレコレの本を読んでみたりするのは、なんちゅうか、だいぶズレとることにおれ様は気づいたのだなあ。エライなぁ>おれ
てなわけで、さてQSONet活用してもっと喋くり捲りましょう。そもそも一年前のおれは結構そうしていたのだったなぁ。。。FCCライセンス取るベンキョしたりすればもっとウマくなるんじゃないかなぁと思ってベンキョしたけどウマくはならなかったりして次第にグレたんだったなぁ。。。
Fumi 7k1ptt
2009-08-27 (Thu) 22:58
外国語については,目的や目標を1つずつこなしていくうちに“その副作用としてウマくなる”と思いました。
“趣味で使う物品を個人輸入したい”とか,先にやりたいことがあって,その目標を達成するために,必要な単語と文例を探して。いつの間にか単語を覚えて,文例の幅も広がって,というように。
最初は何回かのやりとりの後,入手できれば目標達成。
そのうち“不具合品を返品したい”とか“値引き交渉したい”とか次の目標が出てきて,それらをこなしていくうちに単語や文例の幅が広がって,というように。
外国語を勉強するのに適した場所の1つは“ベッドの上”と聞いたこともあります。
どうしても達成したい目標があると“元気100倍”になれそうです。
“ウマくなりたい”を目標にすると しんどい のではないでしょうか。。
具体的な何かをやっているうちに“ウマくなる”という点からは FCCライセンス は良い方向だったと思います。
免許を取得した時点で次の目標を見失ってしまい,それで英語の上達も停止してしまったのかも知れません。
Sanyo
2009-08-28 (Fri) 11:56
言語に関しては本当は一言も、発することが出来るレベルに無いので、それでなくて伝える内容に関して一言、ひさしを借りて言わしていただきたい。
本当は言語に依存しないと思うのだが、近頃何を言っているかわからないことが日本語でも多い。 その風潮は
糞みたいな翻訳ソフトなどが、ネットのサービスなどといって恥さらしにも公然と画面に出てきやがるにいたって、
今や始末に終えん。(実際の製品についている取説までそれを使っているのがある、呆れるよ。)ま、それはともかく
文法的に正しいからといって、内容が正しいとは限らないのは当然だが、その前に論理が構成されていない。
はばかりながら、小生は長いこと工場の片隅で、器械と格闘してきたが、そのときの言語はハードウェア論理やプログラム言語だったりしたが、常に、論理を考え、自分の間違いを直して、器械がおもわく通りに動くようにプログラム
しなければいけないし、ロジックに問題があると絶対動かない。でも、ひとたび人間社会の会話や、文章をみると論理めちゃめちゃが当たり前で、詭弁などそこらじゅうに溢れている。 これでは、人にだまされるのも当たり前だ。〔何を隠そう我輩もだまされたが-おれがばかだった〕
最低限の論理、〔例えば否定の否定は肯定だ! 同じ論理構成でも正論理で説明するか負論理にするかでは、別な論理になる! など〕は
記号論理学など大学で勉強するまでも無く、(大学で始めて講義を聴いたときこれは中学校で学ぶべき内容とおもった)私はこうした基本的な論理を中学生、あるいはもっと早く小学校高学年で
教えるべきだと思う。他の学習をするうえでも 論理的思考の訓練は、早いほど、有益だと思うよ。
今や学校でITを教えているというけど、何か抜けてんじゃないのといいたい。
頭空っぽはいかんが、頭良くてもいってることが良くわからん、も困るよな。日本語できちんと論理的に説明できなくて、外国語でできる筈ないよ。