電離層代理Jh2dbqab2zvwi2p国家代表モニタ消防団の『スローなハムにしてくれ』
今日はちとマジメな話。本ブログ初σ(^。^;)バキ☆\(^。^;)。しっとりと書きたいものでござる。
さて小生が小学生のころは月曜日の1限目は『道徳』と決まっていた。でもその「道徳」って一体なんなのかさっぱり分からず、というのは、教科書はあるにはあるのだけれどもそれは絶対に使われることがなくて、やれ今週はBCGの注射がありますよだの運動会の練習はだの、結局6年間、「道徳」というのはなにか他の大切なもののために犠牲なってしまうということなんだろうと思っていた。
いま思えば実に慧眼であるなw。
無j論その背景は、当時まだ高い組織率を誇っていた日教組が「道徳」というものに強いアレルギーを示していたという事実があるんだけれども、んなことは知らんワシは、与えられた教科書があんまり面白いもので、アレコレ勝手に読んだりして、たぶんガッコの授業の中で一番充実した時を過ごすことができた。覚えている話はいくつもある。すべてが教訓めいた話だったわけではないんだ。たとえばこんなのがあった。
イギリスのある年老いた工員。彼は、仕事の合間はいつも庭のバラを手入れしている。そのバラは実に見事で、季節ごとに近所の人を楽しい気持ちにさせた。そしてそのバラの庭はいつしか全国に知られるようになり、訪問者が増え、その訪問者のために年に一度、バラの庭でティー・パーティを開くようになった。その日彼は正装をして客を迎える。彼はその誇らしい一日のために、今日もまたバラの手入れに余念がない。報酬を求めているのではない。それは彼の誇りなのだ。それが彼の趣味なのだ。
この話は、当時アマチュア無線を『趣味』にし始めたワシの脊髄にがつ~んと来た。趣味ってなんやねん。この物語によれば、趣味とはなんだかカッコよさげではあるけれども、年にたった一日では、あまり報われとりゃせんな。ただひとつ
趣味とは誇りである
ということだけは、なんだかアタマの片隅に居座って、それから40年ぐらいになるんかいな、ず~っとあって、たまに脳の真ん中らへんに出てくる 大原則 となった。でも原則は原則なのであって、ありとあらゆる場面で修正されることがあるので、どうもいまだによう分からんところがある。
いっとき、NiftyServe のアマチュア無線フォーラムで、電波法がどうたらこうたらというギロンを日がなやってたことがあった。んなときたまに「所詮、趣味」とチャチャ入れてくるボケが何人かいて、あぁコイツラはあの道徳の教科書を読まんかったんだなぁと思ったことであった。「所詮、趣味」ってぇのが形容矛盾だと気づかんヤツがこの国にはまだ多いのは、これはやっぱワシらはまだまだ文化後進国なのであらふかという言い方は、いまはしないでおく。書くだけにしといたるw。
それから中学生になって高校生になって、そのうちイギリスっつー国は俺らが想像できんぐらいに社会階層の流動がない国だなんだかんだということを知ったりして、そうすると真の社会で生きる運命の人生ともうひとつ、バーチャルな世界で生きる真の人生とか、ま、そんな意味もあるのであらふかなどと考えつつ、ワシの高校生ハムライフはボンクラに過ぎていったのであった。