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みゃんまぁ II
わしは気鬱だ。山崎ハコの1977年ライブ録音に出会ってしまったのが理由だ。
わしはこのとき、東京・国立の下宿でこの放送を聴いていた。おれが二十歳で、このとき山崎ハコは十九歳だという。おれより年下だったとは、いま知った。
がまぁどっちにしろ、おれらのときの十九、二十歳というと、精神構造はこんなふうだった。このときより数年前に、
十九歳の自殺
というのが話題になったというかブームになったというか、とにかく十九歳で人生を終えるのがいっとき流行った。そういう風潮があった。十九歳というのは、終焉の年齢なのだなと思ったが、気づくと二十歳になっていた。
このあと、キャンディーズだピンク・レディーだが登場し、アイドルブームがやってきて、そして日本はバブル社会を駆け上がることとなる。
まぁともあれ。
わしはAKB現象というのがさっぱり理解できない。商品として成立することは理解できる。売れるんだろうなあということは、わかる。
がしかし、「アイドルになる」ということが、そんなに価値あることなのか、さっぱりわからん。鼻にかかった甘ったるい声で歌いやがって。気色悪いと言うのだ凸(--メ)。
ぎりぎり16~17歳ぐらいまでなら分からんでもないが、ハタチの声が聞こえてきて、それは、一種のキ印ではないのかと思えてならんのだ。
世の中に、あーゆータイプが居るのはわかる。確かに、いる。ぶっ飛んだヤツってのは、いる。
しかしなあ。それをもてやはそうというのは・・・わからん。頭痛がする。おれは、こんな世の中は好きになれん。なにが総選挙だパァかおまえらは。正気に戻ったらんかい
と思っていたところへ、みゃんまぁが聞こえてきた。おお、話が戻った。あちゃこちゃのバンドで聞こえる。が、前にも書いたが、弱い。
なんと、10mでも弱い。カスカスだ。んなアホな。と思っていたら、いやいやいやいや、JA各局は次から次へと ふぁいぶないん を交換してQSOしていく。そりゃあ中にはビッグ・ステーションもあろうが、それにしてもオレんちとの差がありすぎる。なんでだ。
せめてQSOしたくなってくるのが人情で、だもんで急遽、Delta Loopを作り始めた。買っておいてあったグラス・ファイバの釣り竿2本が丁度よろしい。あっという間に完成、さて外へ持ちだそうとしたそのとき
おれ、なにしてるんだろ
と、突然の空虚さに襲われ、結局ヤメにしたのでござった。おれはいま、GP一発でどこまでイケるかを証明するという崇高な使命を背負っている凸。
それを みゃんまぁ ごときで日和るとは、ぬぁんというスピリット欠如じゃあ凸(--メ)。一瞬でも、DXCCになびきかけた自分が情けない( と考えるほどのことでもないのだがw)。
ま結局、翌日の今日、ふつうに21MHzで聞こえていた みゃんまぁ を、ごくごく当たり前のように呼び、応答をもらったので、気は済んだというか、つまらんところでオチは着いたんだけど、10mでなんでおれんちだけあんなに聞こえが悪かったかは、謎だ。
やっぱLoop持ちだして、せめて受信だけでも確認するべきだった気もする。
付記
うん。考えてみればそーだ。
うちのHF-9Vはいま、30m用コイルが取り外してあるんだけど、これは28MHzに影響している気配がアリアリで、SWRこそ悪化していないが、共振してないっぽい。
考えてみりゃ、当たり前だわなぁ。
付記2
山崎ハコはこのとき、「フォークソング」というカテゴリの中にあったわけなんだけど、いま思うと、音楽関係者の無自覚のうちに、そこに埋没させられていた気がする。
だからこそ、山崎ハコのこの自然発酵的な音楽があるのだと思うが、それにしても、というか、それにしては、完成度が高い。演歌として評価したらどうだったか、あるいは、シャンソン側から評価したらどうだったか、というか、いっぺん「フォークソング」というカテゴリを外して聴いてみるべきだったのではないかと惜しまれる。
アダモあたりと出会う機会があったら、彼女のその後の人生は一変していたのではないかという気がする。
神も、いったん才能を与えたのなら、最後まで面倒を見たらんかい凸(--メ)という気もするが、いやいやいやいや、山崎ハコは On The Way なのかも知れん。
山崎ハコはおれのAKBですw。
- Date : 2013-09-23 (Mon)
- Category : antenna