3338
八重の桜 第26回、う~む、わからん。
宮崎美子はじめ、幼子を含む親族12人が自刃して果てた場面があったのだが、どうにも理解できぬのが、その自刃のタイミングだ。西田敏行は自刃を知って出たのか、後で華族の自刃を知ったのか。 久保田祐佳さまは「足手まといにならぬようにという女性の・・・」と言うてはったが、であるとするならば、西田の目前で果て、それを見届けたうえで西田は死地に出向くのがスジと思われるのだが。
いまは史実は問うまい。
第二次大戦で、武家の血を引く家では、母が戦地に赴く子に「生きて虜囚の辱めを受けるべからず」と先祖伝来の短刀を渡したりしたという。捕虜になるぐらいなら死ねというわけだ。ところが中には、陸軍中野学校などで「なにがあろうと生き延びよ」と教えられ、分裂した死生観にさいなまれるひともあらわれることとなる。
生きて虜囚の辱めを受けるべからずという日本人発想は、わしはわかる気がする。負けるなら死ね、死ぬまで戦え、生への執着を捨てて往けというわけだ。「なんとなく」なら、分かる。
ここで話は飛ぶ。従軍慰安婦問題は「女性の人権への蹂躙そのものだ」とする主張に反吐が出ると書いた。女性の人権を云々するなら「せめて同時に」「そこにいた」男性の人権も語ったらんかいと書いた。
さて、息子に短刀を渡し「生きて虜囚の辱めを受けるべからず」と送り出した妻や母は、ワシは、その場で自身と、残る子らのノドを掻き切って、息も絶え絶えにその血みどろの短刀を息子・夫に渡すべきなのではないかと思うが、どうだろう。それで初めて息子・夫は心置きなく戦える。であってこそ「武家の誇り」や「女性の人権」を語る資格があるのではと思うが。死んではなにも語れんが、当然、戦地で死んだ男性兵士も、もうなにも語れぬ。
妻がワシを送り出すとしたら、妻には同じことをしてもらいたい。これは先ほど妻に申し渡した。簡単に「行ってらっしゃい」とか抜かすんじゃねぇぞバカヤロー。おれが出征したあとこっそり自決するとか、あるいはオレが死んだあとを追うとかいうのは、極めてハンパだ。その場で死ね。
戦況好ましく、生きて帰って来れそうだと思われるなら、必ず生きて帰って来よと言え。
戦況が悪く、死ぬとわかってオレを送り出すのなら、送り出す者はその場、おれの目の前で死ね。
無論、本来は、そんな戦争はやってはいかん。第二次大戦は開戦半年で終わらせなければならなかった。兵士の生還が絶望的となったとき、この国は国民を殺戮しにかかっていたわけで、それは間違いなく、政治としては狂気だ。

ところで、600ページを超えるこの本、あとちょっとで読了なんだけど、読んでよかったなあと、まだ読み終わってないけどつくづく思う。
いま上に書いたような疑問が、次々に解けていく。
具体的に役立ったのは、時系列を追っての戦況の分析で、いったいどこらへんからどうなっていったのか、日本軍は最初からマッドだったのか途中からマッド化したのか、最後までマッド化しなかったのかを追って考えることができる。フィクションではあろうが、ここには真実がある。
その真実、戦争の記憶が語られてこなかった理由もわかる。
おすすめ本だ。
ja5efr
2013-07-01 (Mon) 06:08
敵に捕まるなら名誉のために自害せよ!
(真珠湾攻撃の時に特殊潜航艇が1隻、座礁して捕まり
ぺらぺら喋って日本軍はひどい目にあった・・その後
情報が漏れないよう自害さすことにした!)
日本人の奴隷根性調べたらおもしろい!
戦後、鬼畜米英のGHQが来たとき日の丸を振って歓迎
した。
モモコwithJE2EVX
2013-07-01 (Mon) 12:41
Sanyo
2013-07-03 (Wed) 08:53
そして、開戦時の閣僚でA級戦犯容疑者が、GHQに尻尾をふってあげく総理大臣になったてんだから、特攻で死んでいった当時の純真な若者が知ったらなんて言うだろうな。 現在1/3読了・・・以上
Sanyo
2013-07-04 (Thu) 20:56
ところで読んでいくなかで、愚ブログ(2011-10 ここはどこ?)にBakaBomb の桜花について写真入りで紹介したことを思い出しました。 しかし、本の中にあるようなものだとは想像していませんでした。 書いたきっかけはLU5FSA アキオさんとのQSOでした。 しばらくあっていませんが、コンディションが良くなったら、色々話を聞いてみたいです。 何しろ、60年以上前にLUに渡って日本に帰ったことがないということなので。