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職業という名の役回り
みなさん、おはよーござます。と、当ブログとしては、あり得ない挨拶から始まる今日のカキコ。いま午前7時7分。
昨日ですね。One Day Tripへ行ってきた。行き先は、静岡県日本平&久能山東照宮。別に、自分で選んだ行き先ではない。近所の付き合い、てなもんだ。
いやー疲れた。隣県だからすぐソコだろうと思ったら大間違いで、なにしろ名古屋は愛知県内でも西に位置する。往復で5時間、Busの中。
全体としては、カネがかからんかったこと以外、なーも見どころのない、実にしょーもない一日だったんだけど、このガイドさんだけは、実に刮目であった。スゲかった。
おれのアタマが古いのかも知れんが、バス・ガイドさんというと大抵、「覚えたことを喋っているだけ」みたいな人しか見たことないんだけど、このガイドさん、ナニからナニまで 完全に理解 している。その上で、
おまえら、これぐらいのことは分かったうえで、出向いたらんかい凸
という迫力でしゃべる。なんつうのかね、旅へのリスペクトにあふれている。感動&尊敬した。
静岡なんだよね、静岡。牧之原台地を通って行ったわけだ。つまり茶畑だ。茶摘みのシーズンだそうだ。窓から茶摘みの人が見えたらよく見ておいてください、もう今はほとんどバリカンみたいな機械でバリバリバリバリってやってしまうので、もう手摘みの様子はあまり見れないんです。ほぉ。
そもそもなぜ静岡でお茶の製造が盛んになったかご存知でしょうか。気候が合っているから。そうですよね。でもね、静岡のお茶製造が盛んになったのは明治以降なんです。なんで明治か。家康様とカンケーがあるんですね、江戸の時代に静岡は、大井川などで、つまり、江戸と西国を分断する役割を果たしていた。いつでも川の流れが危険だなどと理由をつけて、大井川の渡しなどは禁止できた。最長で28日間、通行を禁止したそうです。28日間、待ったほうも待ったほうですよね。
そーゆー江戸の時代を、明治の政府は終わらせたわけなんですけど、そうすると、交通が自由になった。交通が自由になったのはいいけれども、渡しで食べていた人たちが職を失った。その生計をどうするかというので、ではお茶を栽培しようとなった、んですねー。
ほぉおおおおお。知らんかった。なんと腑に落ちる話だ。感動した。
あと、家康さまが久能山に住まわれた経緯、三方原の戦いなど大河ドラマに触れつつ展開した一大スペクタクルは、身振り手振りの派手さもあって、すさまじいアトラクションなのであった。
このひとは、バスガイドである前に歴女であり地理女なのであった。
Outputできる人ってのは、素晴らしい。inputしかできない文学少女なんてのは、ブタである凸。
わしが初めて 女性の社会進出 ってのを認めた瞬間であった。
実に 旅の女神 なのであった。