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電離層代理、フェルメールをふたたび語る

さてと(バキ)。
生活の周辺に、文字通り「絵になる風景」をしこたま持ちながら、なんで写真で撮れへんのかという問題である。
写真に撮っても絵にならんのはなんでか、という疑問でもある。まぁ、どうでもいいような疑問である凸。
フェルメールの絵をネット上であれこれ見ていたら、まぁ全然ちがう方向の絵とかに繋がって行ったりして、ネットサーフってのはそこが面白いんだけど、そこでみつけてちとびっくりしたのがコレ。
これは実は絵である。写真ではない。そこに注意して欲しいんだけど、気づいた?
こういう、Detailにこだわりまくった絵を、超写実主義だとかHyper Realismとかのカテゴリでとらえるのが、いまのハヤリのひとつらしい。YouTubeにいろいろと紹介されている。
ぶっちゃけ、ワシはぜんぜん評価しない。
「写真のように描く」のなら、写真に撮ったほうが早い。手間暇かけてヤルなら、写真を超えんと意味がない。フェルメールは写真を超えているが、これらの「超写実主義絵画」の大半は、写真を超えていない。(超えているものもある)。一種のパラノイアの所業としか思えん。
がしかし、それらが Challenging であることを認めるのになんの躊躇もない。すげぇなぁと思う。自分も描いてみたいなぁと思ったが、五分で飽きた凸(--;)。
ひとつ疑問なのは、なんでこうした絵画が近世以前に存在しなかったか、だ。なにしろカメラは要らん。鉛筆がありゃ、描ける(らしい)。 あったのだろうか。
あったのかも知れん。

たとえば、Vermeerのこの「真珠の・・・」も、実は今では、近づいてみるとこのように、ずいぶんと荒れ果ててしまっていて、

まことにもってカワイソーなのだが、
ひょっとすると、オリジナルは、もっともっと現代風の(あるいは普遍的な)Hyper Realismに基いて描かれていたのかも知れん。

興味深いところではある。
この、窓辺で手紙を読む女性の絵のほうは、修復したらずいぶんとディテールが浮き上がってきたらすぃ。
なので、多少、保存状態が悪いとしても、修復できんこともないのだろうが、はてさて、修復してみてよくなるかどうか、疑問も多い。オリジナルに戻るのは確かだとしても、オリジナルのほうが良いとは限らんという、これまた深遠な問題が出てくる。
その問題に人類はついこの前、モナ・リザで直面しましたw。
なので、わしは個人的にやってみることにした。おもいっきり写真的にアプローチして、レタッチ。Vermeerさまには申し訳ない(__;)。

・・・写真なんだよなぁ。。。
まだまだイケるが、あまりいじり倒してもなんなので、この程度にしておくことにする。手間かけてもしょーがねーし凸。
それと、この写真の少女はモデルとしてイケすぎている。
ここから「生活の周辺」を語るのには、適しておらんっ。ことに気づいた凸。
印田光徳、JA3TXZ
2013-02-22 (Fri) 22:59
宜しおますな。
Sanyo
2013-02-23 (Sat) 11:40
DonGabacho
2013-02-23 (Sat) 21:10