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A Camera as Weapon
ちょっと前にワシは、ロシアンカメラは精密機械ではない、あれは建設機械に近いと書いた。無骨でずさんでアバウトなのに仕事はきっちりこなすという意味でそう書いたわけなんだけど(イマドキそんな建設機械はないわなぁ)、カメラを武器と言ったのはこの著書である。
なんでも酔っ払ってふらつき、あっと思ったときには、カメラを持ったまま、手が近くのクルマのフロントガラスについていたと。で、フロントガラスはこなごなに砕け散ったけど、ロシアンカメラはなんともなかったと。
いっそ、ネックストラップを持ってぶんぶん回したらヌンチャク以上の破壊力が云々という話だった(と思う。記憶がちとおぼろげ)。
まぁそんなことはさておき、この本は超面白いです。著者の中村さんは、以前はダンプカーの運転手だったか(記憶がおぼろげ)で、いまはカメラ屋さんをやっておられる。この中村さんの文章が超冴えていて、また出てくる写真がどれも繊細でシビレるわけでございます。才能のありすぎる人ってのは、こうなんだろうなあと、なんかカメラがどうのというよりも、ライフスタイルとして勉強になる。
名古屋市内のかたなので、一度知らんふりしてひょろっと訪問したいんだけど、カメラ屋さんってのは無線機屋と同じぐらい敷居が高ぇんだよなぁ。
無線機屋ならへいちゃらなんだけどなぁ。
ところでこの中村さんは、ロシアンカメラのことをソヴィエト・カメラと呼んでおられる。これは確かに慧眼で、また知的なことと思われる。
あれは確かに社会主義の産物。実在した歴史資料として眺めたときに、その価値はより光る。
ミグ戦闘機が北海道に亡命してきたのは、あれはいつのことだったか忘れたけど(調べた。1976年)、そのミグ戦闘機を分析したら真空管が使われていたとかで、日本人は大笑いしたものだった。
しかし連中は、真空管しか使えなかったわけではなく、あえて真空管を使っていたんだすよなぁ。
宇宙空間で使用するため、アメリカは無重力でも使えるペンを開発した。ロシア人は鉛筆を使った。ホントはどうかは知らんが。
ソヴィエトカメラはバカみたいだけど、深い文化を背負っていて味わい深い。
使いにくいが凸。
写る写真はすげぇんだすよなぁ。
あれでなぁ。
ヌンチャクなのになぁ。