電離層代理Jh2dbqab2zvwi2p国家代表モニタ消防団の『スローなハムにしてくれ』
今日はいろいろびっくりした。
まず、ヒットした検索ワード数が、初めて50の大台に乗った。恐ろしい。「日本相撲協会」などでヒットするアマチュア無線ブログは、そうはあるまいw。
その検索ワードの中で「アマチュア無線」というのがあった。これにはさらに驚いた。アマチュア無線ブログなのでアマチュア無線でヒットするのは当然だろうと思ったら大間違い。いまYahoo!で検索してみたら、「アマチュア無線」でヒットする総数は14,200,000件あるのだ。そんな中からここを訪問するまでには、「はやぶさ」と変わらぬ苦難があったことと思う。着いたところがこんなところで申し訳ねぇ(__;)。
さらにびっくりコイたことに、実はワシはプロの写真家であった。知らんうちにσ(^。^;)。
5~6年前のことだったかと思うんだけれども、写真雑誌に「写真を売りましょう」てな特集があって、その筋のサイトに登録しておくと、気に入った写真を見つけたひとがオンラインで購入するてなカラクリが紹介されていた。
面白いので幾つか投稿し、あとは、たった数分前まで忘れていたσ(^。^)バキ☆\”(^。^)。
んだけれども、そ~言えばとふと思い出して、これがまたID/passが記憶の彼方もえぇところで難儀したんだけれども、とにかくアクセスしてみたら、ぬぁんと7セットも売れていた(小サイズ無料版もいれると20件も)。くっそぉもっと高額の値付けしときゃよかったσ(^。^)バキ☆\”(^。^)。
んなもん売れるわきゃねーだろと、設定許容範囲ギリギリのバカ安値つけたおれはもうバカバカバカ。
てなわけで、報酬支払い最低限に達しておらず、支払いがいまも保留。わははははは。
いや~。あんなんが売れたんなら、じゃあこれもあれもそれもσ(^。^)バキ☆\”(^。^)。
二宮 忠八(にのみや ちゅうはち、慶応2年6月9日(1866年7月20日)- 昭和11年(1936年)4月8日)は明治時代の航空機研究者。伊予国宇和郡八幡浜浦矢野町(愛媛県八幡浜市矢野町)出身。陸軍従軍中の1889年「飛行器」を考案。翌年にゴム動力による「模型飛行器」を製作、軍用として「飛行器」の実用化へ繋げる申請を軍へ二度行うも理解されず、以後独自に人間が乗ることのできる実機の開発を目指したが完成には至らなかった。なお「飛行器」とは忠八本人の命名による[注 1]。 |
First QSO was the station from JA Land and according to my old home made log, it was Jimmy JH2DB. This QSO was on 10mts. Jimmy, in spite of pile-up, slowly repeted me his callsign. |
SanyoOMの素晴らしいブログ『ラジオ少年は半世紀越えるも、脳内そのまんま』を拝見しに行ったら、最初に どっかん とワシのハンドルなぞ書いて戴いてて、見るなり「ぶはっ・・・!」とコーヒーを吹き出しそうになったが、そうそうキーボードも交換できないのでコラエた(__;)。
唐突に誰ぞの名前を出し合いつつ、そのキーボードに間接的な攻撃を加え合うというのは、これはなかなか高尚な大人のゲームなので、しばらくは不意打ちのチャンスを狙おうと思っているσ(^。^)バキ☆\”(^。^)。
ところで前回、日本人の出す「CQ」は、そのCQの発音とか全体のアクセントとかとは関係なく、最初の「C」を聴いただけで百%分かると書いた(書いてないかも知れん)が、いったいそれはなじぇなんだろうというところで話は終わったのだった。
今回、SanyoOMのブログの新記事『VOIPの勧め(続き)ー赤恥はかき捨てか!』を読ませていただいてその理由がわかった。
「外国に行っても日本人は蚊の鳴くような声で外国人と話している。会話以前に通じるわけが無い。」
コレだ。声が小さいのだ。
こう言うと、ワシのノリだと『おらぁっ日本人。腹の底から声を出さんかいっ!』という話になりそうだが、実は本当のワシはもうちょっと(だけ)インテリなので、発声法の違い、ということに24時間ほど前に気づいているのだ(--;)。
ここからさきはウントコ細かいディープな話になるので、もうワシは、『アマチュア無線と英会話』てなブログを立ち上げることを思いついた(またかい)。
こういう題材はかつてJA1ANG米田大OMがおやりになり、アマチュア無線界に資するところ莫大なものがあったわけだが、無論おれは国外に一歩も踏み出した経験のない人間なので、アマチュア無線界の進歩を食い止めてやろうという趣旨でヤル。
お楽しみに(^^)/ w 。
QsoNetのながれは絶えずして、しかも本の面罵にあらず。14.200MHzのよどみに浮ぶ酔狂は、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中に無線家と鉄塔と、またかくの如し。銅板しきの机の上に無線機をならべ交信証をあらそへる、たかきいやしき甘茶のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし呼出符号はまれなり。
あさてσ(^。^)バキ☆\”(^。^)。
その『14.200MHzのよどみに浮ぶ酔狂』をタヌキして2年になりまするが、ふと湧いたのが、その酔狂の「す」を聴いた瞬間にソレが日本人かどうかが分かるのはなじぇだという疑問だ。
「酔狂」なんてのは、日本人発音もクソもねぇ、誰が言ったって「酔狂」だ。CQの「C」の発音が[sheee]だからだ[si:]になっとらんからだという低レベルな分析はするんじゃねぇぞ、ウェールズのろばーと・とーます・あだむは完全に[sheeeeee]と発音している。イギリス中東部の連中の多くの「C」の発音は「she」であって、おれらとかわらん。
目立った違いとしては、アクセントがある。これは間違いない。日本人の出すCQは「 CQ 」だけど、あいつらの出すCQは「cQっ」である。極端な例だが相田米価のCQは好サンプルだ。
つまり、seek YOU! なのだな。 ちょっとトライしてみてください。14.200MHzでタヌキってますよって(--;)。
えぇですか「Q」をやたら強く、うんちが漏れちゃうぐらいに力んで言って欲しいのです。
酔狂百でお馴染みの某米局は、IをRと発音する。「あい」が「あ~」である。コレはかなりキビシイ話で、なにしろコールサインの確認がかなり厄介である。IDRさんはRDRさんであるw。
豪州英語はAがIなので、まぁIがRになったところで不思議ではないのだけれども、初めてのときは(@_@)である。
おもしろいのでワシも『WR2Pですぅ』みたいに発音したら(と言うか、伝染る)、このおっちゃんは良い人で、バカウケしてくれて、「そうそう、そーなんだ、この辺りではIをRって言うんだよねー。よく言われるけど直らん」つってた。
なるほど。
思えばワシもと言うか名古屋人も[ai]を[ea]と発音するわけなので、とうてい人様のことを言えた義理ではございません。ウチの母ちゃんがよく
「めぁかけとってちょ」
と言いますが、その意味わかりますか。
「前掛け(エプロン)取ってちょうだい」なのでおじゃりますが、まぁ分からんわなぁ。
はははは。はははははは。
おれ、中1のときの英語の、学年最後の授業で、どんな質問でもえぇからしてみぃと言われて「英語にも方言ってあるんですか」と訊いたんだけど、この先生はすっげーいい先生だったんだけど、質問自体はスルーされたのを思い出した。
どえらい熱心な先生だったので、知ってたんだと思う。だけど真実を言うと、ガッコの英語教育が瓦解する危険があるわなぁ(笑)。だから誤魔化したんだろうなぁきっと。
追記
なおご存知でしょうが、ロンドン・コクニーでは th の発音が v になります。父は「ふぁーばー」、母は「まばー」でございます。
分かるわけねぇっ(--メ)んだけど、分かるというかそれ自体はあまり気にならんから不思議だよな。
むしろあの発声だよな。なんで男は全員森進一なんだ。なんで女は全員葛城ユキなんだ。なんであんなニワトリの断末魔のような・・・あっ。だから こっくにぃ というのか。うわマジで今気づいた。
ニューヨークへ遊びに行ってたある人が、公園のピザ屋に行列ができているのを見て自分も食べたいと思い、ならんだ。
自分の番がまわってきたので「ぴっざ!」と言ったら、アメちゃんが「わじゃわのに?」と言った。
「わじゃわのに?」つったら「Right!」と。さっぱりわからん。
ゆっくり言ってくれと言ったら「What じゃわのに?」で、やっぱわからん。後ろに行列ができ始めたのでアセってきて、悪いが紙に書いてくれないかと頼んだら(←エライ)
What do you want on it?
で、そこには中1で習うような英単語しかなく、それを聞き取れなかったことに落ち込んだ(←落ち込む前に早よ注文せぇよ)、てな体験談をウェブで公開しているひとがいた。
先ずは、こういう体験談を披露してくれていることに感謝したい。めちゃ面白いので、単純な聞き取り練習問題の百万倍ぐらい、勉強になる(身につく)。
e-Linkなどはテキスト送信機能があるから、きちんと役立てるべきなのかもわからんなぁ。
と言いながら声をかけてくるヘンなおじさんがいるーっと言って、表の公園で遊んでいた娘が駆け込んできた。びっくりして、飛んで行ってみたら、外国人が子供たちと話そうとしていただけだった。
という話を、「カタカナ英語」についてネットを徘徊していて見つけた。イケてるw。
イケてるけれども、おそらくこの話は実話だろうと思われるが、だとすると、その「公園で遊ぶ年齢」ですでに日本語の音感が体系としてデキあがっているのかと言う点で驚きもする。
仮にそうだとすると、外国語習得は(個人差も大きいだろうが)、幼児期ではすでに遅いと言えないこともないのかも知れないのではないのではないかという気がしないでもない。
ところで、カタカナ英語どころか『漢字英語』を追求する一派もあり、その根性には驚きを禁じ得ない。たとえば
「こんど、奥さんおめでたでしょ。しばらくついていてあげたらいいよ。一週間ぐらい、有給休暇申請しなさい。」
『産休。』
あたりなら、これは結構イケてるが、さて外国語に対する態度としてはどうなんだろうなという気もする。
ところで、日本人で最初にカタカナ英語に取り組んだのはご存知ジョン万次郎(中浜万次郎)で、彼の著作「英米対話捷径」は、初めて生の英語に触れた日本人に、英語がどう聞こえたかを示す、貴重な史料だ。そこには例えばこういう紹介がなされている。
他には Railroad を『レイロー』と紹介したりしていて、いずれも言語音声学の観点から見て(知らんけど)、興味は尽きないし、またワシらの英語発音・聞き取りに力の向上について、参考になる点がめちゃんこ多い気がする。
それにしても、日本で実際に「鉄道」が開通するのは万次郎の帰国後20年ほど経てからのことだから、説明には想像を絶する苦労があったことだろうなあ。
外国語に対する苦労と言えば、そりゃあまぁ前野良沢先生をおいて、ほかにない。前野先生の場合は「会話」ではないわけなんだけれども、読み書きに関しては長崎にいたオランダ人もインド人なみに驚くレベルだったということなので、そりゃあすげぇなぁ。
・・・という先人の苦労を思うと、こちとら酔狂百もあることなので、ごちゃごちゃ言わず、きっちり王道を歩いて少しは進歩せんとあかんという気がしてきた。甲南大学国際言語文化センターのトップページにある伊庭緑さんの次の文章は、美しいと思う。(なおこちらのサイトでは、英語・米語のオンラインレッスンができますので、ご参考までにどうぞ)
私は日本人がアメリカ人やイギリス人のように英語を発音すべきだとは思いません。ただ英語でコミュニケーションを行なう場合に標準的とされるアメリカ発音やイギリス発音を身に付けていると自分が言っていることを理解されやすいので、練習しておいたほうがいいだろうとは思うのです。ですからみなさんもどうしても発音できない音があったとしても、私は日本語がよくできるから英語も日本語風になるのだと思っていたらいいと思います。ただ練習はまずやってみる価値はあるのではないでしょうか。
まったくそのとおりと思いますので、こころを入れ替えて真面目にやります(__;)。さてそうすると、ブログねたがないことになる・・・わきゃねーわな。いくらでも毒素は出てくるわなきっとσ(^。^)バキ☆\”(^。^)。
中央線沿線で学生時代を過ごした。国立駅北側に下宿はあった。
国立で快速に乗り、そのまま本を読んだりしていれば、乗り換えることなしにお茶の水まで行けた。
国立のもう一つ先には立川があって、それから途中の三鷹あたりにはアメリカン・スクールがあって、アメリカ人の子たちが隣に座ったり、前のつり革につかまっていたりした。
ある日、本から目を離してふと前を見ると、いかにもアメリカンといった風情の女の子がLPを胸に抱えて立ってて、友人とおしゃべりに夢中になっていた。
当時の俺たちにとっては、レコードというのはとてもとても大切なもので、とくにオレはオーディオファンでもあったので、ジャケットをむき出しにしたまま電車に乗るなどというのは考えられないことだった。
レコードは薄いシートで覆い、紙ジャケットに入れ、ジャケットをまた厚めのビニール袋に入れ、そしてさらにそれをしっかりしたカバンに入れて運ぶのがおれたちの常識だった。
いま目の前のその子は、LPジャケットを裸のまま、胸に抱いておしゃべりに夢中になっている。
その子の胸に抱かれて、サイモンとガーファンクルが中央線・快速のリズムに揺れていた。
とりわけ表現者側の活動として掴まれる側面が強く、その場合、表現者が鑑賞者に働きかけるためにとった手段、媒体、対象などの作品やその過程を芸術と呼ぶ。表現者が鑑賞者に伝えようとする内容は、信念、思想、感覚、感情など様々である。
「権威に認められた高尚な活動」が芸術であると誤解されることがあるが、そうではない。権威とは芸術作品を世に広めたり後世に遺したり芸術活動を推奨することを目的とした組織であり、そのために特にその価値がある芸術作品を認め知らしめるだけで、芸術を定義しているものではない。 』
とあって、この定義はワシの感覚にはピッタリ当てはまるのだが。
さて当てはまるとすると、ゲージツとは『表現者あるいは表現物と、鑑賞者とが相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動』なんだから、早ぇ話が、人間が二人おればその間で行われるなんらかの接触は、場合によっては殴り合いなどを含めて全部ゲージツなわけだ。特別なものでもなんでもあらへん。ワシはそう思っておる。
ワシがなんで写真を撮ったりするかというと、それは話すのがメンドいからだ。見たほうが早いだろう。それだけのことだ。 別に写真などをやらんとゲージツができんとは思っておらん。
ワシがなんでブログ書いたりするかというと、それは書いたほうが早いからだ。それだけのことだ。
ワシが話をしたりするのは、話しをしたほうが早いからだ。それだけのことだ。
なんでアンテナつくるかというと、そのほうがシビレるからだ♪それだけのことだ。
アマチュア無線もSWLも、写真も茶道も柔道も殴りこみも、とにかく全部アートなのだ。 そうでござろう。
なのでアマチュア無線家たる読者諸兄におかれましては、一人の芸術家であるという認識で過ごしていただきたいのでござると、まぁなんのメッセージにもなっとらんなあすんまへん(__;)。